展示の見どころ、展示構成
Highlights

タイムラインでたどる髙田賢三の人生

姫路市出身の髙田賢三は1958年に文化服装学院に入学。戦後の洋裁学校ブームのなか、小池千枝氏に師事しました。1960年には若手デザイナーの登竜門である「装苑賞」(第8回)を受賞し、ファッションデザイナーとして第一歩を踏み出します。渡仏後、1970年に自らのブランドを立ち上げてから、1999年にKENZOブランドを去るまでその人気は衰えることなく第一線を走り続けました。ブランドを離れた後、2000年代に入ってからも、2004年のアテネオリンピック日本選手団公式服装のデザインや、2019年には演出家宮本亜門氏による『蝶々夫人』の衣装を手掛けるなど、クリエーターとしての活動は続きました。
幼少期、東京の文化服装学院で過ごした学生時代、パリに渡ってからの活躍、そして晩年の活動まで幅広く紹介し、髙田の人柄を語るトピックを織り交ぜながら、彼の魅力あふれる人生を紹介します。

第8回「装苑賞」受賞作品
1960
文化学園ファッションリソースセンター

「宝石の女」衣装(宝塚歌劇団『パルファン・ド・パリ』より)
1992
姫路市立美術館

1972春夏
文化出版局
©装苑 1972年3月号
撮影:岩田弘行

1971-1972秋冬
文化出版局
©装苑 1972年1月号
撮影:岩田弘行

1971-1972 秋冬
文化出版局
©High Fashion 1971年10月号
撮影:大西公平

1971-1972 秋冬
文化出版局
©装苑 1971年9月号
撮影:増渕達夫

1971-1972 秋冬
文化出版局
©High Fashion 1971年10月号
撮影:大西公平

国内外のコレクションから厳選したオールド・ケンゾー

前半では、装苑賞を受賞した記念すべき作品をはじめに、「日本のきれ」を使った初期の作品、「ニット」「ツイード」「バルーン」といった素材や技法、「アンチクチュール」「ペザント・ルック」「ミリタリー・ルック」など、1970年代に髙田が発表したテーマに着目して紹介します。
後半では、「日本」「中国」「ルーマニア」「ロシア」「アフリカ」など、髙田賢三の代名詞ともいわれる世界各地の民族衣装に着想を得た1970―80年代のフォークロア作品を一堂に展示します。すでに多様性、包摂性を持ち合わせていた髙田賢三の世界を堪能できる空間となるでしょう。
さらに、集大成となったKENZOブランドでの最後のショー「KENZO 30ans(トランタン)」(1999年)の映像フィルムをデジタル化し、ダイジェストで紹介します。

1975-1976秋冬
文化学園ファッションリソースセンター

1975-1976秋冬
文化学園ファッションリソースセンター

1987春夏
文化学園ファッションリソースセンター

1983-1984秋冬(ベスト、ペチコート)
1985-1986秋冬(無地のスカート)
1987-1988秋冬(プリントのスカート)
文化学園ファッションリソースセンター

1985春夏
文化学園ファッションリソースセンター

1984春夏
文化学園ファッションリソースセンター

約20年間集めたリボンで作られたウェディングドレス

1982年秋冬のショーに登場したマリエ(ウェディングドレス)は、髙田が約20年間にわたって集めたリボンを使って制作した大作です。花の刺繍が施された色とりどりの美しいリボンが使われています。このドレスは1999年に行われたショー「30ans(トランタン)」で日本を代表するモデル、山口小夜子が着用しました。本展ではこのドレスとともに、制作の様子も写真資料で紹介します。

1982-1983秋冬
©RICHARD HAUGHTON

1982-1983秋冬
ドレス(部分)
©Kazuko Masui

1982-1983秋冬
ドレス(部分)
©Kazuko Masui