1960年代1点、70年代8点、80年代10点、90年代15点、ほかに制作年不詳の1点を加えた計35点の油彩画を展観します。 《自閉的窓風景(1)》(1967年、京都国立近代美術館蔵)と《落下土風景》(1970年、個人蔵)はともに滞欧以前の作品。この頃には、初期に顕著だったアンフォルメルの影響は払拭され、代わってシュルレアリスムへの傾斜が際立ってきます。 1971年、麻田浩は夫人とともにパリに旅立ち、自己の表現スタイルを確立するに到ります。“世界風景”を描くというテーマを掲げて、「原風景」と題する一連の作品を制作したのです。《ル・トロトワール》(1973〜74年、個人蔵)はその延長線上に結実した自信作で、フランス・カーニュの国際絵画フェスティバルに招待出品し国際賞を受賞しました。以後、数多くの国際展に出品し、日本にも大作を送って発表を続けました。 1986年に京都で開かれた個展に、麻田は《地・洪水のあと》(1985〜86年、京都国立近代美術館蔵)を発表します。出品作はこの作品1点のみで、裏面に「…空の空、空の空、いっさいは空である。…しかし地は、永遠に変わらない」という旧約聖書の一節がフランス語で書き込まれたこの500号の大作は、画業のいわば集大成ともいえるもので、画家の並々ならぬ意欲が示されたものでした。自らを“旅人”になぞらえたヨーロッパ滞在の記憶は、《机上の旅》(1987〜88年、個人蔵)、《旅・卓上》(1992年、京都国立近代美術館蔵)などの作品に連なり、また、宗教的なテーマは《蕩児の帰宅(トリプティックのための)》(1988年、個人蔵)という別の大作を生むほか、《水の中》(1990年、個人蔵)、《水ふたたび》(1993年、個人蔵)、《夜の水》(1994年、個人蔵)など、“水”をテーマにした作品に昇華してゆきます。 《御滝図(兄に)》(1990年、東京オペラシティアートギャラリー蔵)は、13世紀末に描かれた国宝の《那智滝図》(根津美術館蔵)の自然崇拝をベースに、87年に急逝した日本画家の兄・麻田鷹司へのオマージュや青年時代に熱中した登山体験の記憶などを込めながら、日本の風景・風土に積極的に取り組んだ貴重な作品です。 病と闘いながらの制作は、どこか魂の救済を希求するかのように思われ、《四方・光》(1995年、個人蔵)の光明が射す、澄み切った画面には透徹した心境を垣間見ることもできるでしょう。しかしながら、その2年後、画家はアトリエで自らその命を絶ちました。《源(原)樹》(1997年、個人蔵)は未完のままイーゼルに残されていた作品で、“命の木”には蛇がからまり、原罪の象徴としてのリンゴの果実がはっきりと描かれていました。
1971年に渡仏した麻田浩は、以前から注目していた版画家・フリードランデルが主宰する版画研究所に入り、集中的に銅版画制作を行いました。1977年のカンヌ国際版画ビエンナーレでグランプリを受賞するなど、高い評価を受け、版画集の出版や展覧会出品が多くなります。しかし、極度に神経をすり減らす緻密な版画制作が、画家の体調を悪化させたとも言われます。本展では、1975年から80年までの銅版画14点と、『土のはなし』『水のはなし』『ファーブル昆虫記より』の3つの銅版画集を紹介します。
また、関連資料として、画家が密かに書きとめていた創作ノートや日記の一部をご紹介するほか、松本清張『ゼロの焦点』、三島由紀夫『鍵のかかる部屋』、石原慎太郎『化石の森』など、麻田が表紙画を手がけた書籍も展示します。