武満徹作曲賞

審査員紹介

2016年度審査員 一柳 慧 (日本) Toshi Ichiyanagi (Japan)
© 岡部 好
【訃報】(2022.10.11)
2016年度武満徹作曲賞審査員 一柳慧氏が2022年10月7日に89歳で逝去されました。
コンポージアム2016では武満徹作曲賞の審査のほか、「一柳慧の音楽」公演で世界初演された自作のピアノ協奏曲第6番《禅ーZEN》(2016)のソリストも務めてくださいました。
謹んで哀悼の意を表します。
ショット・ミュージック「【訃報】一柳 慧 逝去のお知らせ」
東京コンサーツ「訃報 一柳 慧が逝去されました」

2016年度 審査結果・受賞者紹介

コンポージアム2016(本選演奏会を含む東京オペラシティの同時代音楽企画)

プロフィール

作曲家、ピアニスト。1933年、神戸生まれ。作曲を平尾貴四男、池内友次郎、ジョン・ケージ、ピアノを原智恵子、ヴィヴェレッジ・ウェブスターの各氏に師事。1949年と1951年に毎日音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)作曲部門第1位入賞。1954年から57年までニューヨークのジュリアード音楽院に学び、1961年帰国。自作および日欧米の新しい音楽の紹介と演奏を行い、さまざまな分野に強い刺激を与える。

1966年、再度渡米、アメリカ各地で作品発表会を行う。1976年、ドイツ学術交流会(DAAD)の招聘でベルリン市にコンポーザー・イン・レジデンスとして半年間滞在。欧州各地の音楽祭で自作の発表と邦人作品の演奏を行う。その後も再々訪欧し、ヨーロッパのプロ・ムジカ・ノヴァ・フェスティバル(1976)、メタムジーク・フェスティバル(1978)、ケルン現代音楽祭(1978、81)、オランダ・フェスティバル(1979)、ベルリン芸術週間などから委嘱を受ける。

1984年6月には「MUSIC TODAY ─ 今日の音楽」のテーマ作曲家となり、西武劇場において多数の作品が演奏され、また日仏文化サミットの一環として、武満徹とともにパリのシャンゼリゼ劇場でフランス国立管弦楽団によるオーケストラ作品の演奏会が行われた。1988年5月、サントリー音楽財団(現・サントリー芸術財団)の主催による「作曲家の個展’88一柳慧」で交響曲《ベルリン連詩》を発表。80年代から90年代にかけて、国立劇場からの委嘱により、《往還楽》、《雲の岸、風の根》、伶楽交響曲《闇を溶かして訪れる影》などの、雅楽、伶楽、声明、舞のための大規模な作品を継続的に発表。1989年に伝統楽器と声明を中心とした合奏団「東京インターナショナル・ミュージック・アンサンブル ─ 新しい伝統」(TIME)を組織し、アメリカ、イギリス、ドイツ、オーストリア、フランス、ノルウェーなどヨーロッパ各地の演奏旅行を行う。また正倉院復元楽器を中心とした「アンサンブル・オリジン」を組織して、2005年ヨーロッパ公演、2008年ニューヨーク カーネギー・ホール公演を行う。2004年、札幌パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)のコンポーザー・イン・レジデンス。2006年、『モモ』、『光』に続き3作目のオペラ『愛の白夜』を、2012年4作目のオペラ『ハーメルンの笛吹き男』を初演。2015年、《交響曲第9番》を初演。現在作曲中の《交響曲第10番》は2016年に初演予定。

現在TIMEの芸術監督、アンサンブル・オリジン〜千年の響き音楽監督、日本音楽コンクール顧問、セゾン文化財団評議員、サントリー芸術財団評議員、神奈川芸術文化財団芸術監督などをつとめる。

受賞歴:エリザベス・クーリッジ賞(1955)、セルゲイ・クーゼヴィツキー賞(1956)、アレキサンダー・グレチャニノフ賞(1957)、尾高賞(1982、1984、1989、1990)、中島健蔵音楽賞最優秀賞(1984)、フランス共和国芸術文化勲章(1985)、毎日芸術賞(1989)、京都音楽賞大賞(1989)、サントリー音楽賞(2002)、紫綬褒章(1999)、旭日小綬章(2005)、文化功労者(2008)。

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