エッセイ
二元論を超克する
一柳 慧の音楽
白石美雪(音楽学)
©岡部 好
連詩という言葉遊びをご存じだろうか。鎌倉時代まで遡る連歌や「俳諧の連歌」と呼ばれる連句の美学を受け継ぎながら、大岡信が1970年ごろ考案し広めてきた詩のかたちである。トップランナーが詠んだ詩を前提に、次の人が言葉を紡ぎ、さらに紡がれた情景を前提に次の人が詩を書く。いわばリレー形式の詩の共作で、複数の人が参加するのがポイント。詩人の言葉はまぎれもなく固有の特質をもちながら、小さな個の枠にとどまることなく外へ外へとあふれ出す。新たな詩が重ねられたとたん、前の詩に新たな意味が生まれる。古来の大らかな伝統が換骨奪胎されて、近代的自我を心地よく突き崩していくかのようである。
このアイディアと実践に深い共感を抱き、実際に連詩を素材とした音楽を書き上げたのが一柳慧である。今回、コンポージアムで演奏される交響曲《ベルリン連詩》は、大岡信と川崎洋、ドイツ人のカリン・キヴスとグントラム・フェスパーによる連詩を歌や朗読のテキストとして用いただけでなく、連詩の構造をオーケストラの音楽の展開に転写している。1988年、サントリーホールでの初演は賛否両論を巻き起こした。アメリカ実験音楽の洗礼を受けた作曲家として名をはせてきた一柳がいよいよ円熟期に入ったという見方もあれば、交響曲という形態をとり、日本の素材に立ち戻ったことで保守化したとも言われた。だが、今から振り返ると、どちらの評も本質を捉えそこなっていたと思える。
ここで思い出すのがアメリカの作曲家ジョン・ケージである。1950年代後半、ニューヨークのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで行われていたケージのクラスに参加した一柳は、そこでアメリカの次代を担う芸術家たちと交流し、自らの創造力を開花させた。当時、ケージは一柳に「君の音楽を変えてみないか」と勧めたが、「私はあなたではありません」と答えたと回想している。だが、一柳の音楽は一変した。しかも、その変化は深層まで及んでいた。
一柳の音楽は時代の空気をふっとつかまえて、その時その時の状況を鏡のように映している作品が多い。帰国後まもなく、図形楽譜による偶然性、不確定性の音楽を手がけたのち、雅楽や邦楽器を独自の視点で捉えなおして新たな可能性を拓き、また、電子メディアを用いた作品や環境音楽のジャンルでも貴重なアプローチを行った。作品ごとに新たな構造が追及され、まるで流行を追いかけているかのように作風は転々としたが、その実、東洋の身体を意識した《プラティヤハラ》(1963)あたりから半世紀以上にわたって一柳が追及してきたのは、二元論の超克だったのではないだろうか。自分という小さな個にこだわるのではなく、自己と他者が融通無碍に共存している状態。ケージが東洋から学んだ近代的自我からの解放を、彼はケージの音楽観から学び取ったのである。
連詩はその象徴である。自分の言葉であり、他人の言葉であると同時に、自分の言葉でも他人の言葉でもない。自己と他者という対立項のどちらにも偏らず、かといって弁証法的な止揚を目指すのでもなく、両者の相互関係のさなかに身を置くこと。これこそ、一柳が自作で実現したいと思ったことだった。さらに曲のタイトルでよく使っている「インター」という接頭辞や「ビトゥイーン」という言葉も、対立する二項の、どちらでもない境域を求める志向を表している。2002年作曲の《ビトゥイーン・スペース・アンド・タイム》はその一例である。
今回、とくに注目したいのが一柳自ら独奏するピアノ協奏曲の世界初演だ。詳細はまだわからないが、独奏ピアノのパートは図形楽譜で書かれていて、全体を構成する6つのセクションがどのように進んでいくのかは不確定なのだという。コンポージアムのステージで、偶然の采配によって結ばれた一つの音楽像が、跡形もなくほどけていく。私たちもまた、固定観念にとらわれない自由な精神で、この唯一無二のパフォーマンスに立ち会おう。
東京オペラシティArts友の会会報誌「tree」Vol.115(2016年4月号)より