公演スケジュール

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エッセイ

一柳慧さんの魅力

池辺晋一郎(作曲家)

一柳慧

「コンポージアム」は18人めの作曲家として、一柳慧さんを迎える。音楽に限らず、美術でも文学でも、一人の作家に焦点を当てる企画は珍しくない。しかし「コンポージアム」がユニークなのは、オーケストラによるコンサートのみならずシンポジウムや、時には室内楽コンサート等も含むことだが、さらに特筆すべきは、世界に開かれた作曲コンクールが併設されており、これをコンポージアムの当該作曲家がたった一人で審査をするという点だ。

これは、今年没後20年になる武満徹さんが、自身の企画による「今日の音楽 Music Today」(1973〜92)でかつて何度か実施したシステムの発展と言っていい。東京オペラシティはそもそも武満さんを軸にその活動を開始したのだから、タケミツメモリアルで展開される「コンポージアム」は、まさにその遺志の継承に他ならないのである。

作曲に特定する話ではないが、創作された作品への評価は、当然さまざまである。初演でひどい評を受けたが、歳月を経たら歴史的名曲になっていたなどという話がゴマンとあるのは、周知のとおり。唯一の正解が明解に顕れる数学の世界ではないのだから、当たり前だ。やや暴論ながら、誰が審査員かを考慮することなく作曲コンクールに応募するのは、むしろ愚挙とさえ言えるのではないか。

さて、そういうわけで「コンポージアム」は、1997年のアンリ・デュティユー以来昨年のカイヤ・サーリアホまで(2度の休止はあったものの)、営々とつづけられてきた。そして、一柳慧さん。

1933年生まれの一柳さんは、チェリストの父君とピアニストの母君のもとで、早くから才能を開花させ、49〜51年には日本音楽コンクールで第1位などを受賞、54年にはアメリカ・ジュリアード音楽院に留学した。池内友次郎門下として僕は一柳さんの弟弟子ゆえ、師や先輩たちから聞いている──このころまでの一柳さんは、フォーレを想わせるようなリリカルで静謐な作風だった由。

ニューヨークで、何があったのか……。あちらでの師はV.パーシケッティだったはずだ。交響曲を9曲書いた(!)人で、その著「20世紀の和声法」は邦訳もあり、若い時代に僕も読んだ。おそらくは相当にオーセンティックかつオーソドックスな師だったろう。若い一柳さんが充足していたかどうか……。ある日ジョン・ケージの演奏会を聴いたのであるらしい。まさに変身か脱皮……それまでの一柳さんは新しい一柳さんになる。そして、帰国。

僕が一柳さんの音楽に触れたのは1963年。東京藝大入学後まもなく、青山の草月ホールで継続的に催されていた現代音楽コンサートへ通い詰めたなかだ。不確定性の音楽、チャンスオペレーション、ハプニングなどと呼ばれた「前衛」。一柳さんはその旋風の核だった。

以後一柳さんはさらに変貌を繰り返してきた。ミニマルに近づき、ジャズにも関わり、かつての前衛も包含した俯瞰的作風も示してきた。だが、基本的な作曲技法とエクリチュールを身につけた人だ。根幹が堅固であると同時に、ピアノの名手という現場的感覚もたしかだから、机上というか紙上の論理をこねまわす音楽には絶対にならないのが一柳さんの魅力。皆さんご存じですか──卓球の達人という側面もそこに添えるべきだろう。

オペラシティで一柳さんの全貌を聴き、さらにその名のとおりの「慧眼」ならぬ「慧耳」による審査にも立ち会うことができる。

まさしく、すばらしい日々だ!

東京オペラシティArts友の会会報誌「tree」Vol.115(2016年4月号)より

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