略歴
Profile

1937年、大阪市に生まれる。14歳で結核にかかり、22歳まで8年にわたり闘病。その間に日本画を学ぶ。1963年に戦後日本の前衛芸術を牽引した「具体美術協会」の会員となり、ボンドをつかったレリーフ状の作品を発表。1966年に渡仏し、パリに拠点をおき版画制作に取り組み、やがてボンドによる造形に鉛筆の黒鉛を重ねた漆黒の作品で独自の境地を拓く。またインスタレーションやパフォーマンスでも個性を発揮し、87歳になる現在もパリで旺盛な制作を続けている。

ポートレート
吉原治良(右)とともに、グタイピナコテカ(大阪)での個展にて 1963
©︎松谷武判アーカイブス
1937
大阪市阿倍野区に生まれる。
1951(14歳)
結核を発病。以後8年間にわたり闘病。その間、大阪市立工芸高校で日本画を学ぶが病のため2年で中退。
1959(22歳)
結核が全快。この頃、具体美術協会の元永定正に出会う。
1963(26歳)
具体美術協会会員となり、グタイピナコテカで個展開催。白髪一雄、元永定正らにつづく具体第2世代の俊英として名を馳せる。
1966(29歳)
フランス政府留学生選抜第1回毎日美術コンクールで一席を得て渡仏。翌年S・W・ヘイターの主宰する版画工房「アトリエ17」に入門。
1970(33歳)
「アトリエ17」を辞し、モンパルナスのシルクスクリーンの版画工房に移る。この頃から1980年代にかけて数々の国際版画展で受賞を重ねる。
1970年代後半
紙と鉛筆という身近な素材を用いて制作行為の始源へと溯行し、黒のストロークで画面を塗り込め、生命的な時間を胚胎させる表現を確立。ボンドによる有機的な造形にも改めて取り組み、そこに鉛筆の黒を重ねた作品で新境地を拓く。永遠への射程を秘めた「流れ」のテーマが重要性を増し、以後の松谷はさまざまな作品系列やモチーフを行き来しながら、多様な作品を生み出していく。
2017(80歳)
第57回ヴェネチア・ビエンナーレのメインの企画展「Viva Arte Viva」に大規模インスタレーション《流れ-ヴェニス》を出品。
2019(82歳)
パリ、ポンピドゥー・センターで回顧展。
スタンリー・ウィリアム・ヘイターとともにパリ、「アトリエ17」にて 1967
©︎松谷武判アーカイブス
パリのアトリエで制作中の松谷武判
1981
©︎松谷武判アーカイブス
*ストローで息を吹き込みボンドを膨らませている。
ドローイング制作風景
1982 サンフランシスコにて
©︎松谷武判アーカイブス
*ドローイング《流れ-7》のインスタレーションに際して作品に揮発性油を注ぐ松谷武判
《流れ-小西邸》
2001
墨・水・石・紙によるパフォーマンス
©︎松谷武判アーカイブス
Photo: 神戸康史
パリの街を歩く松谷武判 2019
Photo: Michel Lunardelli