2.陶芸
1983年、49歳のときから池田は陶芸にのめり込み、陶芸の概念を超えた縄文の野焼き風な作品を次々と制作しました。池田は版画では浮世絵の影響を意識的に排除し、欧米一辺倒の芸術思考でしたが、陶芸を始めてから変化が起き、日本の伝統様式に対する関心が高まりました。版画にもその影響が現れ、宗達や光琳の様式を意識的に取り入れ、池田の版画も一変しました。陶芸への挑戦を「日本回帰」と命名、死の2年前には、般若心経の連作に取り組みました。
池田の晩年の陶芸作品はあえて割れるように制作したのが特徴です。池田本人は“破壊の美学”と言い、壊れた作品を販売したのは池田ぐらいと言われています。《裸形・茜城》(1993年)は発色が美しい作品です。窯の棚板を利用した《壁・神々の器》(1995年)は伝統的な陶芸の世界では誰も発想しないような作品と言えるでしょう。般若心経シリーズは、京都の出版社から般若心経をテーマにした版画作品を制作して出版しようと持ちかけられ、陶による造形をしたものです。これらの作品は、池田の陶芸作品の中でも最高傑作だといわれています。
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《裸形・茜城》
陶 1993年 |
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《地蔵16》
ブロンズ 1994年
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《壁・神々の器》
陶 1995年
*美術館初公開 |
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