COMPOSIUM 2002
特別寄稿
「走れ湯浅譲二」
権代敦彦(作曲家)
湯浅譲二(左)と権代敦彦
東京オペラシティアートギャラリー
「JAM:東京─ロンドン」展にて
〜冬の夜の絶対的孤独〜
2002年1月17日深夜、午前1時。東京は不動前のカラオケボックス。そこに一人のロマンスグレーの頭髪、知的な眼差しの初老の男、エコーのビンビンにかかったマイクを手放さない。この男の唄う歌、演歌や懐メロの類でなく、それは「走れ超特急」。ビュワーン、ビュワーンと走る、ひかり号の歌なのである。スクリーンに浮き出る作曲家の名は“湯浅譲二”。この男曰く、「ここには、僕のつくったこの曲以外に、僕が歌えるのはないんだよ。」この日の歌唱を録音したCD、「闇市場で高額で取り引きされている」という噂。この時速250kmのスピード感こそは湯浅音楽に通底するもの。
〜寒く、速く、北へ〜
「ひかり」は西へ西へと走ったが、湯浅の音楽は北を指して突っ走る。
今度のオペラシティ「コンポージアム2002」のプログラムを眺めただけで、背筋がゾクゾクするのは僕だけではないだろう。もちろん曲を聴きたいという「ゾクゾク」もあるが、それよりもタイトルから想像する音風景の寒さにである。「冬の光のファンファーレ」、「シベリウス讃 ─ ミッドナイト・サン」、「コズミック・ソリテュード」、「マイ・ブルースカイ」、「レクイエム」、それに風、ホワイトノイズ、イコン、プラスティク。これらの語から連想するのは北、夜、死、孤独そして青白く硬質で寂寥な音像。ソルトレークオリンピックのスピードスケートやスキー滑降競技のテレヴィ中継を見ながら、この映像に湯浅の速く冷たい音楽ほどふさわしいものはないように思えた。「コンポージアム」へお出掛けの際は「シートベルト」と「カイロ」を忘れずに!
〜秋の暮の永遠の孤絶〜
寒さ、冷たさで思い出すのは、母音、子音の持つ音感温度に着目した「芭蕉の俳句によるプロジェクション」という混声合唱曲。
「かれ朶に 烏のとまりけり 秋の暮」。
この曲集の8曲目に詠まれる芭蕉の句。カ行音に支配され、この句に内包される「カキクケコ」の音の持つ冷えた音感温度、孤絶感を音響化し、凍結した時間を実現した写真の様なマイナス温度の音楽。芭蕉+湯浅の宇宙的無意識の結晶。まさに湯浅音楽の極北。
〜冬の夜の暑い、熱い祭り〜
2002年1月18日東京サントリーホール。湯浅最新オーケストラ作品「内触覚的宇宙 V」初演。僕はこの演奏会にある覚悟もって出掛けた(勿論コートを着て、カイロは忘れない)。だって作曲者本人から「何かビックリするような、大笑いするような出来事が待ちかまえている」と予告されたのだから。「走れ超特急」を歌った翌日。僕の最新湯浅譲二像は、昨夜のあのマイクを握ったカラオケだから、曲中「ひかり号」のテーマが出てきたり、みんなでマイクを持って、本物の“からオケ”をするのかと、想像逞しく席に着いた。
そこで登場したのはなんと、祭太鼓の「ドンドン、ピーひゃら!」。この熱い音に、これまでの湯浅の「冷たい音の系譜」を知っている者は言葉を失う。北に向かって時速250kmで走ってきた「湯浅譲二号」が、突如真南に向かって暴走?これまで安心して一緒に北に向かっていた乗客は、たまげた。自分のオリジンへの参照と未来への展望。過去と未来とを等距離に見据えた“現在”の湯浅譲二と私たちとによる参加型創造とでも言おうか。この場が「祭り」として成立したのは、そこに集った日本のオーケストラ+聴衆みんなが共通のコードを持っていたからだ。僕もこの祭りにノリノリに参加し、曲の最後では上着も脱ぎ捨て、暑く、熱くなっていた。
〜東京駅23番線ホーム〜
「走れ超特急」は実は僕がどの曲にもまして早くから知って親しんでいた湯浅作品。それを30年近く経た今ごろ作曲者自身の歌唱でナマで聴くことが出来るとは!さらに北を目指して、ビュワーン、ビュワーンともっと速く走り続けて欲しい湯浅譲二。そして音楽の最北端からの「こだま」や「やまびこ」を聴かせて欲しい。それが僕の「のぞみ」。北指向、北嗜好、北志向の湯浅譲二にもう一曲、今度は「つばさ」とか「あさひ」なんていう曲、JRは委嘱しないのかなあ?
(東京オペラシティArts友の会会報誌tree Vol.31より転載)
権代敦彦(ごんだい・あつひこ)
1965年9月6日東京都生まれ。少年期にメシアンとバッハの音楽の強い影響のもとに作曲を始める。また、この頃欧米のキリスト教文化に触れ、高校卒業後にカトリックの洗礼を受ける。桐朋学園大学音楽学部作曲科を経て、90年同大学研究科修了後、DAAD(ドイツ学術交流会/西ドイツ政府)奨学生として、フライブルク音楽大学現代音楽研究所に留学。91年より(92年からは文化庁派遣芸術家在外研修員として)パリ・IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)でコンピュータ音楽を研究、実践。94年よりイタリアのチッタ・ディ・カステロ市の芸術奨学金を得て同地にて研修。作曲を、末吉保雄、クラウス・フーバー、フィリップ・マヌリー、サルヴァトーレ・シャリーノに、オルガンをジグモント・サットマリーに師事。カトリック教会のオルガニストでもある。現在、パリと東京を拠点に作曲活動を行っているほか、 演奏会の企画、プロデュースも熱心に行っており、95年〜99年渋谷・ジァンジァンを基地に、現代音楽演奏団体「マニファクチユア」との共同作業によって「東京20世紀末音楽集団演奏シリーズ/→2001」を、97年〜99年横浜県立音楽堂において「権代敦彦シリーズ・21世紀への音楽」をプロデユースした。カトリック教会のオルガニスト、桐朋学園大学作曲科非常勤講師(95年〜)もつとめている。1996年第6回芥川作曲賞《DIES IRAE/LACRIMOSA》、1996年出光音楽賞、1999年第17回中島健蔵音楽賞など受賞。
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タワーレコード発行のフリーマガジン「ミュゼ」vol.36(2002年3月号)に、この二人の対談が掲載されています。
→タワーレコードのサイトはこちら
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