- パリは16区、閑静な高級住宅街にうっかり紛れ込んじゃった、という風情のゲーテ・インスティテュート。アンサンブル・アンテルコンタンポランのアラン・ダミアンに聞いて来なかったら、こんなところで演奏会があるなんて思いもしなかった、インスティテュートの地下にある小さなホール。
客席を見渡しても、いつものクラシックのコンサートとちょっと顔ぶれも違って、皆さんとっても現代音楽の通みたい。知り合いも見当たらないし、なんだか居心地悪くもぞもぞとプログラムを読んでみても、知らない作曲家の名前ばかり。しかしコンサートは始まって、うーん、難しそうな曲だなー、とか、やっぱりダミアンってクラリネット上手だなー、なんて思いながら聴いて、そして最後の一曲。 さっと鳥肌が立ちました。いままで聴いたことのない音色にあっという間に引き込まれて、でもその不思議な音が作っているのは、まぎれもない“本当の”音楽だということが無知な私にもすぐに分かって、息をのんで聴いた20分でした。ヘルムート・ラッヘンマン ©Markus Kirchgessner
そのラッヘンマン氏にはじめてお会いしたのは、1998年にアンサンブル・ルシェルシュに入団してすぐの頃でした。入ってすぐの3ヶ月で40曲以上の新しいレパートリーを演奏せねばならず、必死だった頃、たまたまブリュッセルの演奏会の際にいらしたラッヘンマン氏に、次の演奏会で演奏する予定だった彼のクラリネットソロ曲《ダル・ニエンテ》をレッスンしていただけることになったのです。
すごいあこがれの作曲家で、しかし私のドイツ語ときたら当時はまだ《ダル・ニエンテ》の“使用説明書”(特殊奏法についての説明書き)を読むのだって辞書と首っ引きで怪しい限りだったし、おまけにそのころはすでに彼にまつわるいろんなエピソードを耳にして、どうも大変に厳しい方らしい、と思っていたし、とにかく大変な緊張状態でゲネプロと本番の間にレッスンに向かいました。
このレッスンはまた、ラッヘンマンの音楽との出会いに匹敵する印象深いものでした。 なんと言っても感服したのは、彼の音に対する明確なイメージでした。クラシック音楽でいう“音”以外の音、例えば息の音とかキイの雑音とか、意識しないと耳に入って来ない、それまで”音”と認識していなかった音まで駆使した彼の音楽では、それらの“雑音”(?)を生きた音として演奏するのが難しいところなのですが、ラッヘンマン氏のなかでは、そこでどんな音が必要かがとてもはっきりしているのです。 言葉の問題は、彼が流暢なフランス語を話されることが分かって一件落着だったのですが、ああまで明確なイメージを持った作曲家になら、言葉抜きでもレッスンしていただけたかも、と後には思った程でした。
しかし音と音楽について厳格なだけでなく、同時に大変に柔軟でいらっしゃるのも感動でした。私の奏法に合わせて、私が演奏するならこうしようか、と常に新しいアイデアを出してくださる。レッスンの後はすごい刺激を受けて、もっと彼の音楽を探索したくなる、すごい経験でした。
《ダル・ニエンテ》の後も、《トリオ・フルイド》《アレグロ・ソステヌート》と、次々ラッヘンマンの作品を勉強していったのですが、とくに《アレグロ・ソステヌート》は当時のアンサンブルのチェリスト、ルーカス・フェルスとピアニストの菅原幸子さんと共にCD録音の前後世界中で演奏させていただきました。左から、ヴォルフガング・リーム、岡、ルーカス・フェルス、ヘルムート・ラッヘンマン、菅原幸子 ハダースフィールドにて《アレグロ・ソステヌート》のコンサートの後に
(写真提供:岡静代)
今回は念願の《アカント》を演奏させていただけることになって、まったくクラリネット奏者みょうりに尽きます。まだまだ未熟者ですが、ラッヘンマンの世界を少しでも表現できたら、と思っております。すでにラッヘンマン・ファンの方にも、まだラッヘンマンは知らない、という方にも、是非聴いていただけたら嬉しいです。会場でお会いできるのを楽しみにしております。