COMPOSIUM2015 エッセイ
オペラに結実する豊かな色彩のパレット
カイヤ・サーリアホの魅力
白石美雪(音楽学)
© Maarit Kytöharju
森と湖に恵まれたフィンランド。オーロラと白夜、暮らしに溶け込んだデザイン、そしてシベリウスの国から、新しい風が吹いてくる。「モダンなカラリズム(色彩主義)」と評されるカイヤ・サーリアホの音楽は、燦然とまばゆい輝きをはなったかと思うと霧のように儚く、神秘のベールをまとって、私たちの好奇心に火をつける。
オーロラの揺らめきから発想した《光の弧》(1986)、夜空に輝く星座からギリシャ神話へと遡る《オリオン》(2002)、雲状の音群と金属質のきらめく高音がゆっくりと変容しながら音量を落としていく《幻惑》(1984)、さらに《睡蓮》(1987)や《鏡》(2007)など、サーリアホの曲名はしばしば視覚的なイメージを喚起する。おそらく、美術・デザインのセンスは生来のものなのだろう。彼女は当初、ヘルシンキ工芸大学(アールト大学美術デザイン建築学部の前身)でグラフィックを学んでいる。曲を作りたい気持ちはこのときからあったが、偉大な作曲家のイメージと自己イメージに乖離があって、「自分に作曲ができるとは思えなかった」のだという。やがて、やむにやまれぬ衝動に突き動かされて、シベリウス・アカデミーに進学。指揮者で作曲家のエサ=ペッカ・サロネンや作曲家のマグヌス・リンドベルイらと出会い、気心の知れた仲間となる。学生時代から、みんなで集っては音楽の未来について語り合った。82年にパリへ移り住んでからは、当時、最前線だったスペクトル楽派(音響のスペクトル解析を音楽の構造の基盤とする一派)の作曲技法に感化され、彼女の作品は緻密さと洗練度を増していく。こうしてドビュッシー、ラヴェル以来のフランスの色彩的音響の世界と、きらめく氷、またたく星、ひんやりと澄んだ空気といったフィンランドの自然が交差したところに、サーリアホの音楽は育まれた。
初期から一貫して変わらないのは豊かな色彩のパレットだ。楽器ばかりでなく、ときにはエレクトロニクスやノイズを含む色とりどりの音響が綾をなして、美しいテクスチュアが編まれていく。1980年代にフィンランドで再燃したモダニズムの洗礼を受けた彼女は、現代音楽特有の不協和音、弦楽器のクラスターやホワイトノイズなど、不定形な音響も好んで用いる。しかし、音程構造をシステムで作ることはせず、自らの感性のおもむくまま、とりわけ色彩を意識しながら音響の表層と変容を形づくっていく。サーリアホの音楽はいわば夢のようにうつろい、伝統的な楽曲分析の枠組みをするりと抜ける。私たちが魅了され、いつのまにか誘い込まれてしまうのも、まさに夢の領域と言っていい。《夢の文法》(1988)はポール・エリュアールの詩をコラージュしてソプラノとアルトに歌わせるアンサンブルのための作品だが、その曲名は示唆的だ。
夢を紡ぐ作曲家サーリアホはミレニアム以来、オペラ作曲家としての道を歩み始めた。初期の抒情的で表情の豊かな歌曲、中期の豊穣な音響の発見と夢幻的なプロセス、そして90年代の作品で際立ってきた耳を惹きつけるメロディとハーモニー。こうした作風の展開を追ってみると、オペラがそれらすべてを投入できる格好のジャンルであることは明らかだ。今回、日本初演となる『遥かなる愛』(2000)は、彼女の記念すべき第1作。ザルツブルク音楽祭での世界初演は絶賛された。かつて前衛作曲家たちが拒絶したオペラは、21世紀になって多くの現代作曲家の手で新たな命を与えられている。サーリアホはいまや、当代一流のオペラ作曲家として期待されている。
東京オペラシティArts友の会会報誌「tree」Vol.109(2015年4月号)より