COMPOSIUM2015 エッセイ
カイヤ・サーリアホと「遥かなるもの」
藤田 茂(音楽学)
© Priska Ketterer
こんな記事をフランスで目にしたことがある ─ カイヤ・サーリアホは名前からして音楽的だ。その母音の並びは「あ・い・あ・あ・あ・い・あ・お」。「あ」と「い」を取り出してみれば、前からも後ろからも同じに読める美しい回文が現れる ─ 冗談のような話しだが、パリのフィンランド人であるサーリアホが北欧の異国趣味と結びついて、いかに神秘的なオーラを放っているかは伝わるのではなかろうか。
私がサーリアホの音楽を深く知ったのは、2001年の冬、彼女のオペラ『遥かなる愛』がパリ・シャトレ座でフランス初演されたときだった。この作品は、革新的なプログラムで知られたザルツブルク音楽祭の前年の目玉公演であり、破竹の勢いであったピーター・セラーズに演出され、もっとも美しいソプラノのひとり、ドーン・アップショウをキャスティングしていた。当時、ただメシアンの音楽を研究したいという理由でパリの学生たちに紛れていた私にとって、これら3つはいかにも魅力的だった。メシアンの記念碑的大作、オペラ『アッシジの聖フランチェスコ』を現代オペラのレパートリーに復活させたのは、1992年の同じザルツブルク音楽祭、同じセラーズが演出し、同じアップショウが天使を歌った、『アッシジ』の上演であったからだ。今になって知ったことだが、サーリアホ自身をオペラ創作へと向かわせたのも、このときの『アッシジ』体験であったという。
メシアンのオペラがそうであるように、サーリアホの『遥かなる愛』も、至純なるものについての瞑想である。題材となったのは、12世紀に実在したトルバドゥール(抒情詩人・作曲家)をめぐる「遠い恋人amor de lonh」の伝説 ─ ブライユの領主、ジョフレ・リュデルは、アンティオキアの巡礼者から聞いた、まだ見ぬトリポリ女伯を愛し、ついに海を渡る決意をする。船上で病にかかるも女伯への情熱から航海をつづけ、命を落とす。ジョフレの死をきっかけに女伯は世を捨て、修道生活に入った ─ 。実際のオペラでも、この筋書きはそのまま生き、それぞれにバリトン、ソプラノ、メゾソプラノを割り当てられた、トルバドゥールのジョフレ、トリポリ女伯クレマンス、そして無名の巡礼者が(そして、この3人だけが)、このオペラの登場人物となっている。
サーリアホは語る。「最初に惹かれたのは、この物語の美しさだったけれど、作曲を進めるうち、3人の登場人物が私に似ていることを、次第に強く感じるようになった」。つまり、自分はジョフレと同じく作曲家であり、クレマンスと同じく異国に暮らし、巡礼者と同じく、この2つを結び合わせたいと考えていた、というのだ。その意味で、このオペラは、サーリアホの精神的自伝ともいえる。しかし、ここには、もっと深く人間的な苦悩が刻みこまれているはずだ。つまり、人間は至純なるものを求めるが、死を経ずしてはそれに到達することはできない、という苦悩が。
タイトルの「Amour de loin」は、平たく訳せば「遠い恋人」となる。「遠いde loin」のは、ブライユとトリポリとの距離であり、「恋人amour」とは、クレマンスのことに他ならない。しかし、ジョフレが、この「遠さ」を航海で乗り越えようとするほど、それは、人間と至純なるものとの「遥かなる」隔たりに置き換わり、また、肉体をもって「恋人」に近づこうとするほど、それは「愛」という純粋観念に姿を変える。「遠い恋人amour de loin」は求めるほどに、「遥かなる愛Amour de Loin」という死によってしか到達できない世界へと逃れていくのだ。クレマンスの口づけで死を迎えるジョフレの最後の言葉は「望みはすべて叶えられたり。もはや生きたいとは思うまじ」。そして、ジョフレの死とともに俗世を捨てたクレマンスの最後の言葉は「遠い恋人(遥かなる愛)は今やあなた、主よ、あなたこそ遥かなる愛(遠い恋人)」。命という限界のなかで、遥かなるものを希求せざるをえない人間の悲劇。それを、このオペラは指し示しているのではなかろうか。
東京オペラシティArts友の会会報誌「tree」Vol.109(2015年4月号)より