展覧会についてExhibition
ADO(アド)と コー・フェルズー(1901-71)
作業療法として始まったADO
1920年に開業したアペルドールン近郊の結核療養のためのベラハ・エン・ボッス・サナトリウムでは、回復の最終段階にある患者を対象に、木工制作の作業療法(労働セラピー)が行われていました。ADOの玩具シリーズは、この作業療法が1925年に企業化されたことで生まれました。美術に詳しいデザイナーのコー・フェルズーが責任者に任命され、彼のデザインと指導のもと、患者らによって制作されたのがADOの玩具シリーズなのです。ADOは「Arbeid door Onvolwaardigen障がい者による仕事」の意で、患者達には賃金が支払われ、彼らの回復と社会復帰の手助けとなりました。ADOは造形を通した社会的な実践だったのです。
オランダの国民的玩具
フェルズーは、新しい教育思想にも通じていました。彼は子どもの美的感性や想像力を伸ばすことを重視して、「実際の玩具の形は、シンプルかつ明晰にものの本質を表していなければならない。そうしたものだけが、子どもたちが想像力を心ゆくまで働かせることを可能にする」と述べています。フェルズーはまた、同時代の建築やデザインの動向も熟知し、リートフェルトをはじめとするオランダの家具から影響を受けていました。フェルズーの指導により、ADOは、「モダンなデザイン、丈夫なつくり、子どもに適した色彩、教育的な価値」といった評価を得て、オランダ中の子ども達に愛されるようになったのです。