展覧会についてExhibition

第1章 身体との対話

この章では、身体性への問いかけがノグチの制作において重要であったことを、彫刻やドローイング、舞台美術など、主に初期の作品を通して紹介します。

北京ドローイング

ノグチは20代前半にパリに留学、20世紀彫刻の開拓者コンスタンティン・ブランクーシに師事して抽象的な造形を学びましたが、20代の半ばに北京に滞在した際には、毛筆と墨による身体素描の大作「北京ドローイング」を数多く手掛けています。力強く大胆な線が、身体のボリュームやエネルギー、そして運動感覚を見事に捉えています。制作の根本につねに身体性への問いかけをはらむノグチ芸術の出発点です。本展では国内初の試みとして8点の作品を一堂に展示します。

イサム・ノグチ《北京ドローイング(横たわる男)》
1930
インク、紙イサム・ノグチ庭園美術館(ニューヨーク)
©The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum, New York / Artist Rights Society [ARS] - JASPAR.
Photo by Kevin Noble.

マーサ・グラハムとのコラボレーション

1930年代半ば以降、ノグチは舞台美術を活発に手掛け、特にモダンダンスの開拓者マーサ・グラハムとの30年以上にわたるコラボレーションは、身体の動きと空間の関係を結びつけることにおいてノグチに深い示唆を与えました。ノグチの舞台関係の仕事を、彫刻、ドローイング、映像等から紹介します。

イサム・ノグチ《マーサ・グラハムの舞台「ヘロディアド」のための舞台装置》
1944
©The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum, New York / Artist Rights Society [ARS] - JASPAR.
Photo by Arnold Eagle.

第2章 日本との再会

ノグチは、戦後、1950年に来日して以降、日本の暮らしや伝統、歴史や社会と向き合いながら、 建築家の谷口吉郎、陶芸家の北大路魯山人ら多くの芸術家たちと交流し、新たな制作に取り組みます。 彫刻のみならず、家具や照明のデザイン、建築インテリア、庭園などジャンルを超えた多彩な活動にそれは結実しました。 この章では、ノグチが日本との再会を果たした1950年代の活動より、 社会や生活の中に彫刻として機能する作品を生み出そうとしたノグチの総合的なビジョンを紹介します。

陶作品にみる「日本」との再会

来日中、映画スター山口淑子との結婚を機に移り住んだ、北鎌倉の北大路魯山人の敷地内のアトリエなどで、ノグチは陶作品の制作に没頭しています。日本の風土や埴輪などに触発された素朴で大らかな造形は、現代人が忘れた生命の輝きに満ちています。ノグチの陶作品は、日本でのみ制作されていることからも、ノグチにとって、自らの第二のルーツ「日本」と向き合うための方法だったのかもしれません。

イサム・ノグチ《別嬪さん》
1952
陶(瀬戸)、麻
イサム・ノグチ庭園美術館(ニューヨーク)
©The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum, New York / Artist Rights Society [ARS] - JASPAR.
Photo by Kevin Noble.

建築家とのコラボレーションで深めた「総合」への眼差し

来日早々、建築家の谷口吉郎と協力してノグチが手掛けた慶応義塾大学の《萬來舎》(1950-51)は、建築、インテリア、工芸、彫刻、庭を含む総合的造形空間です。モダンであり、かつ日本の伝統的な素材もふんだんに使った《萬來舎》は、慶応義塾で長く教えた亡き父、詩人・野口米次郎の記念室であるとともに、多くの戦没学生を慰霊するモニュメントでもありました。この章では、同時期の原爆慰霊碑など広島関連の仕事とともに、こうした「彫刻」を歴史や社会と結びつける取り組みを紹介します。

イサム・ノグチ《萬來舎》
1950-51(2003解体/ 一部移設)
©The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum, New York / Artist Rights Society [ARS] - JASPAR.
Photo by Chuji Hirayama.

光の彫刻「あかり」の誕生

ノグチは岐阜県を訪れた際、当地の伝統的な灯籠に触発され、光の彫刻「あかり」をデザインしました。現在も照明器具として多くの人々に愛れており、日本の伝統に触発されながら生活と芸術のつながりを求めたノグチの作品の普遍性を示すものとなっています。

イサム・ノグチ《あかり》デザイン
1953〜
紙、竹、金属
香川県立ミュージアム

第3章 空間の彫刻 ─ 庭へ

ノグチ最晩年に至るまで長く手掛けられた庭や公園、ランドスケープなど、大地を素材とする「彫刻」作品を紹介します。 ノグチの地球環境的規模の作品の構想はごく早くから始まっていますが、1960年代以降、多くのプロジェクトを実現させました。 ノグチの庭の仕事は「彫刻」を「大地」に結びつける試みであり、 同時にそれは、重力によって大地に縛りつけられた人間の「身体」と向き合うことでもありました。

ノグチの庭と世界文化

ノグチの環境的作品は、日本の禅の庭、そして世界中を訪ねて出会った石の遺跡など、古今東西の文化にインスピレーションを受けて生まれています。ノグチは世界文化の編集者でもあったのです。《チェイス・マンハッタン銀行プラザのための沈床園》(1961-64)は、日本庭園にみる静寂な佇まいに人々の憩う空間を創出しています。

イサム・ノグチ《チェイス・マンハッタン銀行プラザのための沈床園》
1961-64
ニューヨーク
©The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum, New York / Artist Rights Society [ARS] - JASPAR.
Photo by Arthur Levine.

遊具と大地

「原始、人がそうしたように、子どもたちにも直接、大地と向き合ってもらいたい」と、ノグチは庭に置く遊具も制作しました。《オクテトラ》は、八面体に球体状のヴォイド(空虚)を穿った遊具、プレイ・スカルプチャーで、その幾何学性には、無二の親友だった発明家・思想家バックミンスター・フラーからの影響もうかがえます。

イサム・ノグチ《オクテトラの模型》
1968
石膏、彩色
イサム・ノグチ庭園美術館(ニューヨーク)
©The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum, New York / Artist Rights Society [ARS] - JASPAR.
Photo by Kevin Noble.

第4章 自然との交感 ─ 石の彫刻

ノグチの後半生を代表するのは、大理石よりも硬い玄武岩、花崗岩などによる峻厳な石の彫刻です。 シンプルなフォルムを基本に、ときに自然のままの石の表情をたたえた作品群は、従来の彫刻の概念を超えています。 石はノグチにとって、たんに自分の求める形を実現するための素材ではなく、地球の悠久の歴史や自然の摂理を語る根源的な物質でした。 ノグチはそこに、大地に刻まれた「時間」に人を誘う深い魅力を感じとっていたのです。 石の彫刻は、庭の仕事と両輪となって、人間の心と身体を改めて大地にしっかりと結びつけ、 空間や時間へと広げて思索する、大らかで豊かな作品世界を実現させたのです。

和泉正敏との出会いと牟礼の仕事場

ノグチは1964年、香川県の石の町、牟礼町(現・高松市牟礼町)で若き石工・和泉正敏(1938-)と出会い、以後、和泉を制作の重要な協力者とし、牟礼をニューヨークとならぶ制作の拠点としてゆきます。ノグチは、和泉の石匠としての知識と技術に助けられ、様々なアイデアとインスピレーションを得たのです。ノグチは和泉とともに牟礼の仕事場と周囲を彫刻庭園に作りかえ、これらは現在、「イサム・ノグチ庭園美術館」としてノグチ生前のままの姿で公開されています。

  • 牟礼の仕事場で和泉正敏と制作中のノグチ
    1970頃
    ©The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum, New York / Artist Rights Society [ARS] - JASPAR.
    Photo by Michio Noguchi.
  • イサム・ノグチ《アーケイック》
    1981
    玄武岩
    香川県立ミュージアム
    ©The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum, New York / Artist Rights Society [ARS] - JASPAR.
    Photo by Akira Takahashi.