インタビュー

トーマス・アデス インタビュー
「作曲とは本質的に混沌としたもの」

インタビュー:ヤーリ・カリオ(日本語訳:後藤菜穂子)

© Marco Borggreve

トーマス・アデスは自作のピアノ協奏曲(2018年)のヨーロッパ初演を指揮しに、春爛漫を迎えたライプツィヒにやってきた。独奏は、この曲の献呈相手でもあるキリル・ゲルシュタイン。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との午前のリハーサルを終えたアデスに、メンデルスゾーンの胸像が見守る指揮者用控え室で話をうかがった。
[*インタビューが行われたのは2019年4月]

アデス:協奏曲については、ある時期から19世紀の作品──交響曲やソナタなども含めて──に強く惹かれるようになりました。なぜならこれらの作品は、ひとつの完成された世界、いわば包括的な感情体験をさせてくれる気がするからです。曲が始まり、途中で何かが起こり、そして次に進んでいく…。ある時突然、その仕組みがどうなっているかに強い興味を持つようになり、自分も作ってみたいと思うようになったのです。
当然のことですが、音楽のもつ対話の要素というのは協奏曲においてより強く表現できます。作曲家としては実はとても楽しいのです。一つのグループの中で人々がお互いに話すのとは異なります。対話がより明確になります。私自身の観点からいえば、あるストーリーを伝える上で、協奏曲だとよりはっきりと示すことができるわけです。
このピアノ協奏曲については、曲の開始部をはじめ、その他の部分も何度も試行錯誤しました。スケッチはあったのですが、とにかくひたすら突き進みました。そして苦心の末、なんとか最後までたどりつきました。そこで改めて曲の冒頭を見直したところ、「こんなはずじゃない」と思ったわけです。なぜならその時には、自分の中では違うイメージが作り上げられていたからです。
すなわち6ヶ月の間に書いたものは、彫刻家にとっての大きな粘土のかたまりのようなものだといえます。それをちょっとずつ削っていき、外側を取り除いて中にあるくっきりしたものを掘り出していくのです。奇妙な仕事の仕方だと思われるかもしれませんが、私自身は、最初に明確なものがあってそれを複雑化するよりも、このほうが好きなのです。
意外に思われるかもしれませんが、私の作品の多くは削りに削った結果なのです。次々と加えていく手法ではありません。私のオペラ『皆殺しの天使』もそうでした。オペラの流れがわかるように全体を大雑把に書き上げて、それをできるだけ凝縮させていったのです。このピアノ協奏曲でも一部そうしました。
ピアノ協奏曲の終楽章で直面した大きな問題は、たとえばラヴェルのピアノ協奏曲のように最初から砲弾のように勢いよく飛び出すべきか、それとも他の多くのピアノ協奏曲のように途中ではじける瞬間を作るべきか、というものでした。そして長く考えた末、はじける瞬間が必要だと気づきました。
不思議なことに、こうしたことはいつしか自ら意思を持ち始めるんですよね。医者のように、素材に耳を澄まし、脈を計り、診断を下し、薬を処方すればよいのです。これまでこうした考え方をしたことはありませんでしたが。

アデスにとって、作曲とは音楽上の混沌を正しくオーガナイズすることである。

アデス:今はなるべく午前中に作曲をするようにしています。一応、日課のようなものを決めていて、それを守ることがとても大事になっています。若い頃は、何時だろうとかまわず作曲していましたが、今の私はより規則的で、決まった時間に机に向かい、曲に取り組むようにしています。
作曲というのは、取り組んでいる時は抽象的な作業でもあります。私がオーガナイズしようとしている素材は、ある意味本質的に混沌としたものなのです──まるで私たちの周りの空気と同じように。そうした混沌の中からいくつかの塊を取り出し、オーガナイズするわけです。そして、その中で拍はどこにあるかを決めたりしていくことによって、ぼんやりとしたものが徐々に形になっていきます。 作曲をする時には、かなり散らかしながら行います。たとえばいろんなバージョンを試すのが好きです。いろいろ試すことで物事がより明確に見えてくるという点でよい方法だと思います。こんなことを言うと頭がおかしいと思われるかもしれませんが、曲の正しいバージョン、すなわちマスターはどこか外に、あるいは私の内部にすでに存在していると近年ますます思うようになりました。それは私が曲を書く前から存在し、私の仕事はそれを正しく記すことなのです。
このように感じるようになったのは比較的最近のことです。いわばラジオ・レシーバーになったような気分です──誰も放送してくれているわけではありませんが。若い頃は、ラジオのダイヤルをわざと操作して音をひずませて遊んでいました。今ではそうしたひずみも実際に私の曲の一部にできるかもしれない、と考えるようになりました。入れたらおもしろいと思いませんか?
なぜだかわからないのですが、この宇宙のどこかに曲の正しいバージョンが存在する──まるでXファイルのように──というファンタジーを信じることが、私に拠り所を与えてくれるのです。

もしも存在しないとしたら?

アデス:シューベルトと、その未完の作品たちのことを考えます。それらはとても興味深いものです。私が考えるのは、その素材のDNAのどこかに欠陥があって、曲を完成することができなかったということです。それでもベートーヴェンだったら、諦めず無理にでもガンガンと攻めたでしょう…ときには周りを押しのけてでも進み、強い決意を持つことが必要です。

新しい曲が初めて演奏される瞬間は格別だとアデスは語る。

アデス:曲が仕上がると、たとえばキリル・ゲルシュタインのもとに届けられます。すると彼は曲を少しずつ弾いて動画を送ってくれます。それを聴く瞬間の感動は格別です。「あー、本当なんだ!」と。その瞬間は、つねにクリスマスのような喜びを与えてくれます。その感触にちょっと病みつきになっているともいえるかもしれません。私にとって音楽がワクワクするものである限り、それは最高にワクワクする瞬間です。

アデスは、ピアニストおよび指揮者としてもしばしば自作の演奏に関わっている。しかし、オーケストラの指揮については、そうした願望を持っていたわけではなく、始めたのは偶然だったという。

アデス:私が初めて指揮をしたのは19歳の時で、自作の《室内交響曲》(1990)の初演でした。たしか聴衆は13人ぐらいでした。もともと指揮者なしでやるつもりだったのか、誰か別の人が指揮するはずだったのかよく覚えていないのですが、とにかく指揮するように言われたので引き受けました。それはとても不思議な体験でした。そして終わってみて、OK、これは面白いや、と思ったのです。その後、ケンブリッジ大学の音楽ソサエティでもすこし指揮しました。
それでも、今の自分がやっているような、指揮者としてあちこちのオーケストラを回るようになるとはとうてい想像できませんでした。よくあることですが、あれこれつながっていった結果です。
かつてロンドンに作曲家のジョン・ウールリッチが主宰するComposers Ensembleというすばらしいグループがあり、イングランド各地を旅して回っていました。編成はだいたい3人とか5人(もうすこし多いことも)で、ときどき指揮もしたり、とても楽しかったです。私の《ライフ・ストーリー》(1993)はこのグループのために作曲しました。
私の最初のオペラ、『パウダー・ハー・フェイス』(1995)の初演は指揮しませんでしたが、レコーディングでは指揮しました。でも、その頃はまだ指揮者としてのキャリアは望んでいなかったことはたしかです。むしろ逆でした。その後、短期間でしたがあるエージェントと関わった時期があって、その人が、このオーケストラとこのコンサートを指揮して、その次はこれをやって、と指揮の予定をどんどん入れていったのです。その時は身体が拒否反応を起こし、それで病気になってしまいました。そういうことすべてが嫌だったのです。
今ではだいぶ落ち着きました。もはや指揮や演奏をしない生活は考えられませんし、しなかったら発狂してしまうかもしれません。悪い意味で、新聞の見出しになってしまうでしょう。最近ではますます作曲と演奏の橋渡しをすることに喜びを見出すようになりました。その「橋を渡る」ところが特に好きです。

どんな公演でも、リハーサルはプロセスの重要な一部だ。多くのオーケストラでは、比較的短い時間の中にたくさんの練習を詰め込むことになる。

アデス:オーケストラの個性はそれぞれ大きく異なるので、どうなるかはその時にならないとわかりません。ここゲヴァントハウス管での私のピアノ協奏曲のリハーサルでは、時間いっぱい使いませんでした。よくドイツのオーケストラは譜読みが遅いと言われますが、実際にはそんなことはなくて、ライプツィヒでもまったくそんなことはありません。いったん音楽がどのような作りになっているかを把握したら、驚くほどすばやく曲をまとめることができました。指揮者として何を求めるかを最初から心得ていればよいのです。
私自身、今や演奏会やリハーサルに相当慣れているので、リハーサルでどれだけのことを達成できるのかという感覚が備わってきたのでしょう。予想以上にたくさんのことが達成できるものです。曲がきちんと書けている場合、1時間のリハーサルでどれだけのことができるか、きっと驚くと思います。年々、要領がよくなっているとよいのですが。もちろんヴァイオリン・セクションに、各自が数時間かけて練習しなければならないような恐ろしく難しいパッセージを書いたということなら話は別です。でも、もしさまざまな実際的な面も考慮して作曲したのなら大丈夫でしょう。そもそも完璧すぎてもつまらないですし。
しばしば全般的なコメントを一つするだけで、みんなが「ああ、わかりました」とうなずき、より広義のことまで理解してくれます。そのことがある種の全体的な考え方を促し、よりうまくいくようになります。細かい点をすべて指摘する必要はないのです。リハーサルとは、全員が一緒に呼吸し、同じ拍を感じ、同じように考えるようにするためのプロセスなのです。全体の一致した動き──リハーサルはそのためにあるのです。

アデスは自作に加えて、他の作曲家の作品も幅広く取り上げてきた。最近では、ヘルシンキでのフィンランド放送響との演奏会で、自身の名作《Totentanz》(2013)とともにシベリウスの《タピオラ》を指揮した。

アデス:あれは、《タピオラ》は大好きな曲だし、フィンランド人も好きだろうからやりたいと思ったわけです。でも実際にヘルシンキに着いたら、「いや待てよ、僕はいったい何をしているんだ!ヘルシンキに来て、あのパーヴォ・ベルグルンドのオーケストラと《タピオラ》を指揮するなんて。信じられない!」となったわけです。でも実際にはとても楽しかったですし、オーケストラもとても好意的でした。そして、一人ぐらいは弾いたことがない奏者もいたでしょう。とにかくあの地で《タピオラ》を演奏できて感激しました。そして社交辞令かもしれませんが、次回もシベリウスを振ってほしいと言ってくれました。すこしは認められたということでしょうか。

自作を指揮する時は、当然ながら指揮者アデスと作曲家アデスとのやりとりが行われる。

アデス:曖昧な指示をめぐることが多いですね。たとえば強弱記号のmp(メゾピアノ)と書いた場合、人によってはp(ピアノ)で弾き、人によってはf(フォルテ)で弾くので、本当は何を意図したのか決めなければなりません。こうしたことはしょっちゅう起こります。あとメトロノーム記号ですね。昔からどちらかというと苦手なんですが、最近はだいぶ改善したと思います。
それでも、自分が演奏家であることは私の音楽の素材には影響しないと心から思っています。もちろん、すべてが明瞭に聞こえてほしいというのはありますが。
演奏家としての経験が生かされているのは、たとえばここのボウイングはこのほうがよいとか、この小節は4分の3拍子にしたほうがよいといった点だけだと思います。作曲を重ねるうちにこうした点により注意するようになりました。でもそれはあくまでも専門的なことで、取るに足らないことです。

作曲家アデスとしては、昔の曲をいくつか掘り起こしたいと語る。

アデス:できれば、私自身でさえほとんど演奏していない曲について、新しくディレクターズ・カット版を作りたいと思っています。もういちど見直して、いくつかは救出したいところです。いつになるかわかりませんが。

次に初演されるアデスの新作*は、グスターボ・ドゥダメル指揮ロサンジェルス・フィルによる《インフェルノ》(2019)。
[*2019年5月10日に初演]

アデス:ようやくこのバレエ音楽を必死で仕上げたところです。リハーサルが始まる数時間前にようやく書き上がりました。
私はときどき既存の作品を使った曲を書きたくなります。最初に手がけたのはダウランドの曲に基づいた《ダークネス・ヴィジブル》(1992)でした。あれは私の頭の中では自分の作品ではありません。「自分がこんなふうに演奏されたらよいなと思った形で演奏するダウランドの曲」なのです。これは真の意味での作曲ではありません。別の名称で呼ぶべき行為だと思います。
というわけで、今回のバレエ音楽《インフェルノ》では、リストの音楽を飾り立てたら面白いのではないかと考えました。一方の極には、純粋なリストの曲に私がオーケストレーションしたものがあり、他方の極には純粋に私が書いた音楽があり、その中間にはそれらがさまざまな形で混在したものがあります。たとえば、自分がリストの曲を演奏しているうちにファンタジー、または即興的なカデンツァを始めるようなもので、徐々に違うものに変化していくといった感じです。それは明瞭な変化ではなく、どこか不気味で、けっこう気に入っています。
考えてみれば、ストラヴィンスキーの《プルチネッラ》も、ある意味すべてペルゴレージの音楽なわけです。でもその中でストラヴィンスキーが目立たせようとした箇所があります。おそらく彼は、1920年当時、どのようにすればクリエイティブな形で人々の役に立てるか、と考えたのでしょう。今はそうした考えは稀薄になっています。でも私自身は、鍋の中に使えるものが残っているのなら使おう、という考えです。《インフェルノ》でやったのはそういうことです。
ストラヴィンスキーとペルゴレージの時間的距離は、私たちとリストの時間的距離よりも近いものでした。音楽史的な視点でいえば、今の私たちにとってリストはずいぶん遠い存在に思えますが、今取り上げるのも面白いのではないかと思いました。
リストは、地獄や悪魔的なものの作曲家だといえます。ベルリオーズのように、ときおり地獄を訪れた上客もいますが、リストはそこに住んでいたといえます。私自身も地獄を訪れてみたいと思ったのですが、できなかったのです。そこでこのバレエ音楽でリストの音楽を借りることによって地獄を訪れてみたら面白いのではないかと考えたのです。出来映えにはけっこう満足しています!

ロサンジェルスの初演は演奏会形式で行われ、来る7月にはバレエ版が上演される。ヨーロッパ初演*は2020年に英国ロイヤル・バレエによって行われる。
[*ロイヤル・バレエで2020年5〜6月に予定されていた同バレエの公演は中止となった]

アデス:コヴェント・ガーデンでは、ダンテ三部作として上演します。当然《天国(Paradiso)》もありますが、これがリストの音楽ではなく、私自身の曲です。

話が進むにつれて、昔から議論されてきた「絶対音楽」と「標題音楽」の違いについての話に及んだ。

アデス:とても古臭い考えだと思います。子どものころに読んだ昔の教科書を思い出します。「絶対音楽」とはなんでしょうか?何の意味もないと思います。そこにはある種の宗教的なスノビズムがあるんじゃないでしょうか。なぜなら絶対音楽というのは、かつては瞑想的な音楽だったからです。そしてそうした聖なるものに対して、「標題音楽」は世俗のものだったからです。何かを描写する音楽に対する不信感があったのです。
私自身は、どちらの態度もつまらないと思います。すばらしい描写音楽にも、豊かな音楽的な内容と真実が詰まっています。たとえばメンデルスゾーンの《フィンガルの洞窟》などがよい例でしょう。驚異的な曲です!完全に描写的でありながら、絶対音楽としても完璧で、完成されています。片方だけではなく、両立できるものなのです。
たとえばベートーヴェンのピアノ・ソナタを例にとっても、おそらくどの曲にも彼の頭の中には人物がいたのではないかと確信しています──男性と女性、英雄的な人物と家庭的な人物など。しばしばオペラ的な場面が出てきますし、なかには、単なる男性と女性の間のやりとりにとどまらず、実際に舞台の上でのやりとりだとわかる具体的なシーンもあります。シェイクスピアの芝居に忠実に基づいていると私が感じる曲はいくつもあります。ピアノ三重奏曲第2番op.70には、シェイクスピアの『テンペスト』のテーマがまるまる描かれていると私は信じています。本当に、プロスペロとミランダの関係のようだと確信しています。この曲を作曲した当時、ベートーヴェンが『テンペスト』を読んでいたことはわかっているので、きっとそうだと思います。この曲は彼にとってつねに対話だったのだと思います。ベートーヴェンはこれを「絶対音楽」だとは思わなかったでしょう。
またベートーヴェンの「第九」の終楽章で、途中で男性が登場し、急にオペラになる輝かしい瞬間がありますよね。「おお、歓喜よ!」、と。ものすごくワイルドだと思います。《英雄》交響曲の中でも、誰かが急に登場して歌い始めたら面白いと思いません?たしかにちょっと滑稽かもしれませんが、この曲だって明らかに標題音楽なわけですから。絶対音楽ではありませんよ。かなり文字どおり描かれています。

今月[*2019年4月]後半には、3シーズンかけたブリテン・シンフォニアとのベートーヴェン・シリーズが完結する。これはベートーヴェンの交響曲全9曲と、アイルランドの作曲家ジェラルド・バリーの音楽を組み合わせたシリーズだ。

アデス:これは、かねてよりやりたかったワイルドなアイディアでした。私はジェラルド・バリーの作品の初演を多く手がけてきて、いずれレコーディングしなければならないと思い続けてきたのですが、全然時間が取れなくて。それで、どうやったらレコーディングができるかということを考えた時に、パッとこのアイディアが浮かんだのです。たしかに突拍子のないアイディアで、一年目は聴衆も少なかったのですが、楽しかったし、気にしませんでした。回を重ねるうちに客もついてきて、今はけっこう入っています。ベートーヴェンを指揮するのはとても楽しいですね。習慣にはしないと思いますが、指揮することで多くのことを学びました。そしてバリーの昔の作品と最近の作品を取り上げるのも意義深いことだと思います。少なくとも私にとってはとても意義のあることでした。ようやくこのバリーとベートーヴェンをすべて一緒に出してくれるレコード会社が見つかったので、喜んでいるところです。

{CD情報}
ベートーヴェン: 交響曲第1番〜第3番&バリー
トーマス・アデス 、 ブリテン・シンフォニア
(2020年05月30日発売)
https://tower.jp/item/5039824/

いわゆる硬派のモダニズム全盛時代には、作曲家が聴衆のことを考えるのはタブーだとされていた。アデスは聴衆についてどう考えているのだろうか。

アデス:「聴衆が気に入ったとしたら、なにか間違っている」という思想のことですか?笑っちゃいますね。こういう思想をもつ作曲家を描いたアメリカ映画があります。彼はいわゆる怒りに満ちた前衛音楽を作曲するわけです。聴衆は兄とガールフレンドの2人しかいなくて、曲の演奏中、彼女が笑い出して、作曲家が彼女に向かって叫ぶという…とても滑稽です。
よくリハーサルをしていて思うんですが、他人の頭の中にあることって、ちょっと努力して近づこうとしないとわからないものなんです。ティーンエージャーが、「僕のことなんか分かってないくせに」とドアをバタンと閉めて、自分は特別なんだと思い込むのと同じです。実際には彼らが必要なのは、きちんと耳を傾けてくれてはっきりと話してくれる人なのです。
私たちはみんな変人でクレイジーで気難しいので、まあよいんじゃないでしょうか。一つだけ言えるのは、誰かのために自分を曲げることはしたくありません。その意味では聴衆の問題は、そもそも問題にもならないといえるでしょう。

*:訳者による補足

ヤーリ・カリオ Jari Kallio
フィンランド出身。現代音楽を専門とするクラシック音楽ジャーナリスト。ヘルシンキ大学で音楽の知覚認知を研究。過去20年間にわたり、フィンランドのさまざまなクラシック音楽の媒体に執筆。2017年、自らウェブサイト「Adventures in Music」を立ち上げ、世界各地で取材したインタビューや批評記事を掲載している。ジャーナリストとしての活動のかたわら、高校教諭として教鞭を執る。愛猫はNono。

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