19世紀後半、日本の音楽は開国を契機に西洋音楽との接触によって大きく転回しました。外国軍隊の軍楽の響き、J.C.ヘボンをはじめとするキリスト教宣教師たちが歌う讃美歌は、幕末維新期の人々の耳と感性を新たな音楽へと開いたのです。
近代国家形成を目指す明治新政府がとり入れた欧化政策は、政治、社会、文化の隅々に及び、音楽も例外ではありませんでした。西洋音楽は日本の近代的教育制度の一環として、音楽教科になり、音楽教師の養成とともに始まった唱歌の作曲と普及、文学界も巻き込んだ「綜合芸術」オペラへの関心と創作、演奏家の養成、音楽会場の建設、聴衆の誕生、そして日本音楽の研究と「改良」へと続きます。江戸後期の蘭学者・宇田川榕菴(ようあん)の翻訳の仕事を起点に西洋音楽の受容と土着化の軌跡を追います。